最終更新日:2024年11月22日
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大阪の食い倒れ、京都の着倒れ、神戸の履き倒れと言われるほど、神戸は「靴のまち」として有名です。中でも靴の関連製品の出荷額が市全体の7割を占める長田区は、全国屈指の靴製造業の集積地です。
1909年に神戸ダンロップ護謨(株)が設立されました。
1914年の第1次世界大戦を機にゴムの需要は急速に伸び、ゴム靴や長靴の生産が始まりました。
1920年代には次々と区内にゴム工場が建設され、それが「靴のまち長田」の始まりとなりました。
しかしその後、ゴム靴の価格下落や1945年の第2次世界大戦の被害により、長田の靴産業は衰退の危機を迎えます。その危機を救ったのが、1952年にゴムに代わる新たな素材として誕生したケミカルシューズです。ケミカルシューズはファッション性に富んだ靴として、ピーク時の1971年には約1億足、金額にして約532億円分の靴が生産され、そのうち約4割が輸出されました。
バブルの崩壊や1995年の阪神・淡路大震災により、長田の靴産業は再び甚大な被害を受けます。
2000年には震災からの復興と、靴のまち長田の活性化を目的に、細田町にシューズプラザが完成しました。
2016年には地域団体商標として「神戸シューズ」を特許庁に出願して認められ、「神戸シューズ」ブランドの普及に努めています。
さらに、2017年にはアディダスジャパン株式会社が世界最先端レベルの計測が可能で製靴機器を備えたアディダス史上国内初のフットウェア開発拠点「アディダスフットウェアラボ(adidasfootwearlab)」を設置しました。
このように長田は20世紀以降一貫して靴づくりに携わっていることから「靴のまち長田」と言われるゆえんとなっています。もっと長田の靴の歴史についてお知りになりたい方は、「NANNANくつのまちながた特集号」をご覧ください。4、5ページ目に長田の靴にまつわる年表が記載されています。
ケミカルシューズとは
ゴム底で表面は合成皮革や雑材(布)などの化学合成品を用いた靴のことで、大衆靴として親しまれ、発展してきました。
神戸シューズのコンセプト
主に婦人向けの靴が作られていますが、その他大量生産ではない外反母趾や偏平足等の方用の靴づくりも近年では見受けられます。
日本ケミカルシューズ工業組合(所在地:長田区大橋町)によると、組合全体での販売足数がピーク時の4,749万足でしたが、2019年にはピーク時の3分の1以下の1,308万足となっています。みんなで長田の靴を盛り上げましょう。
1.ゴム勃興の地の石碑(長田区川西通1丁目)
神戸市は明治以来、神戸港での生ゴムの輸入とともに、ゴム工業が盛んで、長田区はゴム工業勃興の地といわれ、ゴム産業発展の礎となっています。その記念碑が新湊川沿いの、長田南小学校横にある新湊川公園入り口に立っています。
2.シューズプラザ(長田区細田町7丁目1−9)
ケミカルシューズ発祥の地、『靴のまち長田』のシンボルとなる拠点施設。長田の靴をメーカー直送で販売する「いい靴がいつでも安い」直営ショップのほか、足元から健康づくりやオーダーメイドの靴も取り扱う神戸長田周辺の人気スポットです。
3.シューズ・ロード
スポーツ選手たちから元気をもらおうと、一流選手のスポーツシューズの表・裏の写真とサインをタイルに焼き付けた「シューズ・ロード」。シドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子選手、アテネ五輪サッカー女子代表で兵庫県出身の川上直子選手、プロボクシング世界チャンピオンの長谷川穂積選手などのシューズ跡が埋め込まれています。
4.くつの扉(長田区松野通1丁目1)
震災からの復興とケミカルシューズ業界の復興を願う碑「ポルタ・ディ・スカルぺ=くつの扉」。復興へ向かって開く扉をイメージして、扉状の金属板の上に靴のレリーフ24個を配置。震災から4年後に、1歩ずつ着実な復興へ向かう願いを込めて設置されました。